WOWOWで日本を代表する二人の格闘家の映画を立て続けに放送された。
「日本を代表する」、生前この二人は多くの人にずっと日本人だと思われてきた。
しかしどちらも韓国人だったというのも興味深いね。
そしてある意味、その道を究めた人たちでもある。
にもかかわらずこれまで彼らの伝記映画が作られなかったのは韓国人だったから、となると寂しいものがあるね。
どちらの映画も多くは日本が舞台となっている。
韓国人の目から見た日本というものが映画の端々に垣間見られる、正しくない部分もあるけれど、今の若い世代の日本人よりも遥かに日本を理解しているといって差し支えないかもしれない。
どちらも実在の人物の実話ということだけど、自分が韓国人ということをひた隠しにしてきたくらいだから、その話もどこまで真実なのかもわからない。
力道山はいうまでもないが、「風のファイター」の大山先生(なぜかこういってしまう)は、コミック「空手バカ一代」で親父世代なら誰もが知っている。
しかし近頃「正伝大山倍達」という書籍によると、「空手バカ一代」の描写はほとんどが作り話というか驚く。
何しろ大山先生は特攻隊の生き残りだった訳だしね。
しかし故人の名誉のためにいっておくけれど、大山先生は本当に神懸かりに強かったらしい、これだけは真実らしいよ。
我が家のケーブルテレビで最近『南極物語』をちょくちょく放送している。
その「ちょくちょく」の度にオレはついつい観てしまう。
日本の南極観測隊に置き去りにしてしまった犬たちのドラマだ。
彼らの行動の描写はもちろん想像だ、まあそこはいい。
やっぱりラストシーンですね。
何度観ても泣ける。
もう細かいことはどうでもいいのだ。
正月となるとお約束のように各局で時代劇が放送される。
フジテレビでは明智光秀・・・。
明智光秀は近年、知性教養豊かな、名だたる武将を数多く抱える織田家の中でもでも抜きん出た存在と伝えられているが、今回のドラマもそれを大きく外れることがなかった。
確かに秀吉に破れて三日天下とはいわれても、戦はそれこそ時の運、武力、知力といったあらゆるジャンルに置いてバランスがよく、しかもどれもが平均以上でいうことないパーフェクトな印象が強く、秀吉や家康にも劣ることがなく感じられる。
しかしこのドラマはあまりにもその辺りに執着するあまりに美化しすぎている気もしてしまった。
この手のドラマは必ずしも事実ではない。
簡単にいってしまえば、歴史的な事実に基づいて原作者や脚本家が思い入れで作られているに過ぎない。
全くそれが作り話かといえばそうでもなく、ある程度の事実を確認した上でのことでもあり、作者の思い入れが偶然に事実と重なる可能性も全くないとは言い切れない。
それでもしかし、である。
どうも正月の歴史ドラマはあまりにも都合よく事が運びすぎるんだよね。
オレは戦国武将の中では武田信玄と同じくらいに好きな人物だけど、ここまで美しいものでないことは認識しております。
やっぱり、というかこんなもんだろう。
大河ドラマ「功名が辻」の放送が終わった感想だ。
そもそもの題材が山内一豊という、歴史の中で天下に大きく関わった人物ではないのでスケール小さかった。
信長や秀吉、家康という名だたる歴史的な人物と関わった大名であるけれど、ドラマに出てくるようにさまざまな節目に関わっていたのか、といえばありえない、大河ドラマというのは歴史的事実に基づいたフィクションなのだ。
つまり史実に対して作者の思い入れで主人公がいかに関わったかを創作したもので、今回のネタはかなり厳しかった、ということですね。
また年々ネタがつまらなくなってきている。
「風林火山」はどうですかね、信玄は好きな武将ではあるけれど・・・。
これも劇場で見られなかった映画で、早くもスターチャンネルで放送されて嬉しい。
対戦末期、ソ連の侵攻部隊がベルリンに迫るあたりの時間設定で始まるこの作品、ヒトラーの秘書の証言に基づいて脚本が作られたという話で、淡々と進む。
アドルフ・ヒトラーという人物は歴史の中で、というか戦勝国の先導で作られた歴史の中で、時には悪魔の化身ともいわれるほどの嫌悪感を持って表現される。
しかし映画ではヒトラーをあくまでも一人の人間として、国家元首として、良いとも悪いともせずに時間の流れに沿って表現することに終始していて好感が持てた。
スターウォーズにしても、宇宙戦艦ヤマトやガンダムにしても独裁国家となると必ずヒトラーとナチスを連想させるのが定番の中で事実はどこにあったのかということをあらためて考えさせられた。
興味深かったのはドイツは降伏を選ぶくらいなら自決する、という考え方が当時のヒトラーだけでなく首脳部に蔓延していたことで、当時の日本の思想に通じるものを感じたことだ。
日本の思想に影響を受けた脚本家の仕業かもしれないが、事実であれば歩んだ崩壊の道は同じだったということになる。
ただ、日本の場合、この思想は戦国時代から続く武士道精神が根底あったのに対し、ドイツの場合はユダヤ人虐殺をはじめとする数々の非人道的行為からもはや後戻りできない、という状況から生み出されたのかもしれない。
もっとも日本だってかなりの非人道的行為はあったけどね。
また、苦しむ国民の生命を軽んじるあたりは、それもある意味ドイツの合理主義的なものを感じさせた。
ブルーノ・ガンツ、ヒトラーを演じられるのはこの人しかいないだろう、というくらいはまり役だった。
彼以外で頭に浮かぶのはレクター教授を演じたアンソニー・ホプキンスか。
でもイギリス人のホプキンスはオファーがあっても断っただろうな。
まあドイツ人の手で作られたことに大きな意義のある映画だったと思う。
映画館では観る気がしなかった。
テレビでやっと観た。
うーん、一頃に比べると日本映画も表現方法が多彩になったような気もする。
しかし原作がコミック、つまりオリジナルな脚本ではないのね。
コミックをバカにするつもりは毛頭ないけれど、こういう映画のオリジナルな脚本を書ける人が日本にはいないことを痛感、ここが問題なのかもしれないね。
まあ、映画にしても小説にしても、そしてコミックにしても日本人の作品というのはまずストーリーにリアリティを求める傾向が強い。
だから細かな部分まで取材してかなり現実の組織構成に近づける、一般人はほとんど知らないことなのにね。
一般人にとってはそういうことからリアリティを感じるのか?ではハリウッドのあり得ない設定はなぜ受けるのだろう。
この映画の敵国は国名までは出なくても誰もが分かるかの国、そういう生臭い設定では国内でしか上映できないだろうな、そういう部分にリアリティを求めずにもっと別の角度からエンタテインメントを意識した作品が観たいね。
4月と10月はTV局の番組編成が変わるということでこの時期ほぼ毎日スペシャル番組が続く。
どれも似たり寄ったり、新しい番組の出演スタッフが出てクイズやら下らんゲームやらを延々と繰り広げてどの番組が勝ちましたー、と内輪で勝手に盛り上がっているだけで実に普段以上に何も残らない。
トーク番組も新番組の宣伝に明け暮れるし、全く何年これを繰り返すのだろう。
かつて筑紫哲也もこの現象にうんざりしたようなコメントをしたこともあった(なかなか勇気があるよ)。
いつまで経っても能無しゲーノージン頼りの質の低い民放なのであった。
イッセー尾形が昭和天皇を演じるこの映画。
これまで昭和天皇が映像の題材になったことはあったが、これほどまでに克明に表現されたものは初めてだろう。
たとえば『日本の一番長い日』では、天皇が涙するシーンなんかがあったりしたが、顔は一切出ない、後ろ姿のみ、という気の使いようだった。
最近はテレビなどでは顔つき(もちろん俳優だけど)の映像もぼちぼち出てくるようにもなったけれど、この映画は違う、何よりこの映画の完全な主役なのだから、これまでのものとは性質が根本的に違うのだ。
この映画、実はロシア映画(ということになっている)、これが日本でなぜ作られないのか、ここにやはり日本映画の限界を感じられずにいられないね。
とにかく重い、映像、音響、脚本、演技、全てが重くこれはとんでもないものを観てしまった、もしかすると今後テレビ放送されることもないかもしれない、早感じるほどだった。
金払って観ているオレですら観ただけで非国民扱いされるんじゃないのか?なんて不安にもさせられた。
はっきり言ってビビりましたね。
シンドラー社のエレベーターがどういうわけか日本の各地でトラブルを起こしている。
この社名を聞いて一番初めに頭に浮かぶものは、発想が貧困と言われようと、やはり映画『シンドラーのリスト』という人は少なくないんじゃないのか。
それだからなのか、どういうわけかスターチャンネルで『シンドラーのリスト』を放送していた。
映画に登場するオスカー・シンドラーはナチスドイツに迫害を受けたユダヤ人の命を救ったドイツ人としてたたえられていて、エレベーターのシンドラー社とは似ても似つかない、そうか、もしかしたらこのシンドラー社というのはオスカー・シンドラーの末裔の会社で、現在の社のイメージを払拭するために仕組んだに違いない、と勝手に決めつけてみた。
この手の話題がもう一つある。
ワールドカップの会場にフランクフルトが会場の一つになっている。
じゃあフランクフルトソーセージか?その質問にはとりあえず阿呆とだけ答えておこう、そう単純なことではないのだ。
ブラジルとフランスの決戦にも使われた会場の名前が「フランケンシュタディオン」というらしい。
そう、ここまでくればお分かりだろう、ここから想像されるのは「フランケンシュタイン」なのだ。
でフランケンシュタインの映画は数多くある、「日本映画専門チャンネル」で放送されたのはというと、東宝の1965年作品『フランケンシュタイン対地底怪獣』だった。
実はオレが想像したのもこの作品だったのだ。
映画はフランケンシュタイン博士の創造した不死身の心臓が勝手に細胞分裂して人間になり、おまけに広島に投下された原爆の影響ででかくなり(当時怪獣映画で巨大化する原因として必ず放射能があげられたが、今思えば全く根拠のない理由)、都合良く現れた地底怪獣バラゴン(この名称は劇中には一切出てこない)と対決するというお話。
劇場公開と合わせて観るのはこれで何回目になるだろう、またしても最後までわくわくして観てしまったわけなんだが、エンディングが2種類ある。
怪獣の息の根を殺したフランケン坊や(出演の水野久美が劇中で「坊や」と呼んでいたので)、ここで急に地底の火山活動かなんかで地割れが起きてそこに飲込まれていくのが劇場で公開されたもの。
その後昭和46年頃にテレビで公開された時には、そうではなかった。
怪獣との対決を終えると急に大ダコが現れてフランケン坊やを捕まえて湖(これもとって付けたようにある)に引きずり込んでいって終わるのだ。
元々荒唐無稽には違いないけど、ここまでのストーリーなんぞどうでもいいような、あまりにリアリティーにかけるこの展開、なんで山の中に大ダコがいるのかわけが分からないし、フランケン坊やがいなくなっても大ダコの恐怖が残るというのにそれには触れられない終幕、テレビでの放送時、この大ダコパターンはオレが当初劇場で見たものと違うような気がしたのだが、劇場公開当時オレはまだ幼稚園児で記憶に絶対の確信が持てなかったのだ。
後年、この映画に二つのパターンがあり、大ダコシーンはお蔵入りしたパターンで、それがTV放映されたらしい、ということを知った。
今回放送されたのはオリジナルの方で、やはりこちらの方が自然だ。
何となくケーブルテレビを見ていたら何となく始まった。
よくよく見ると、あ、この映画、映画館で予告を見て是非見たい、と思っていたのにいつの間にか始まってあっという間に終わってしまった、かのコール・ポーターの伝記じゃないか。
この人、ミュージカルや映画の音楽を多く手がけた大御所なんだけど、かなり前の時代の人なだけに知名度はイマイチかもしれない。
ジャズのスタンダードナンバーと呼ばれる曲にはコール・ポーターの手によるものが驚くほど多い、というか一番多いかもしれない。
マイルスなんかもポーターの曲をかなり取り上げている、ヘレン・メリルの珠玉の名曲『you'd be so nice to come home to』もそうだ。
その他、ポーターの名前を知らなくても、誰にでも聞き覚えのある曲がかなりあるはずだ。
映画はミュージカル仕立て、いいねえ、こういうの。
ポーター役よりもその奥様役のアシュレー・ジャッドが本当にきれいだった、この人、他の映画でも見かけたことがあるけれど、本当にきれいだな、特にアメリカウケする顔立ちだと思う。
いやあ、思いがけず見たかった映画を見れて満足だ。
暇なゴールデンウィーク、ケーブルテレビでは3日にわたってサンダーバードのオリジナル版の一挙に全作品放送をしていた。
もう40年も前の映像だというのに非常に斬新で、その後のSF映画への影響の大きさを十分にうかがわせてくれるものだ。
しかし、すでに語り尽くされた部分もあるけれど、結構メカにおかしな所もあったりするんだよね。
有名なのは2号の基地内でのコンテナ収納シーン、コンテナを脱着する際に伸びる足を出した状態ではコンテナを横にスライドさせることはできないんですね。
1号の発信のシーン、発射台まで台車に乗せられて傾斜を下るシーンなんだけど、下り始めるシーンと、下っているシーンでは1号の向きが90度違っている、これもカメラサービスなのか?しかし国際救助隊は撮影禁止じゃないか。
3号でもある、搭乗する際のソファーなんだが、3号に運ばれていく代わりのソファーが元に戻るんだけど、元の位置とはあのままでは絶対に合わないはずだ。
などと粗捜ししても仕方がないだろう、そんなことはどうでもいいのだ、多少のことはご愛嬌ではないか。
しかし、全放送と謳っている割には足りないような気がする。
NHKで前後編に分けて放送されたエジプトのピラミッドの話がなかったんじゃないかな。
どうして今まで映画化されなかったんだろう、と常に思っていた。
極真空手の創始者、大山倍達の映画だ。
これほど世界中の格闘界に名が知れた人物もいないだろうし、本当に信じられないくらいの格闘人生を送ってきた人なのにね。
日本で映画化されなかったのは韓国人だったからなの?だとしたら心が狭すぎるね。
しかしこのタイトル、よう分かりませんがな。
もっとストレートに、やっぱり「大山先生」にして欲しかったね。
最後の最後にやっと取れた日本人のメダル、それが大会の花でもある女子フィギュア、しかも日本人初の金メダルっていうんだから驚きだ。
そしてその時の実況中継の際の決め台詞がこれだった。
このアナウンサー、アテネオリンピックの時の体操の実況でも決めたんだそうだけど、名調子と呼ぶにはどうも事前に必死で考えて準備していた言葉に響いてしまう、つまりアドリブで自然にこみ上げてきたものを言葉に置き換えたものではないような気がするのだ。
別に彼を非難するわけじゃないよ、それはそれでいい、というかむしろ時代にかなっているともいえる。
このいわゆる事前準備的な台詞はかの古館伊知郎あたりが始まりだろうなあ、と思うし、個人的には嫌いではない、彼のプロレスやF1中継はかなり面白かったしね。
オリンピックの名調子といえばやはりベルリンオリンピックの「前畑がんばれ」なんだろうけど、これはまだテレビのなかった頃のラジオのお話、テレビになってからでもっとも記憶に残っているのは札幌オリンピックの70m級ジャンプ(今でいうノーマルヒルね)の実況だろう。
「さあ笠谷、さあ笠谷、金メダルへのジャンプ・・・、飛んだ決まった!」
あれは完全なアドリブ、今回荒川が金メダルになったことでその後何度もその演技の録画が放送されたことか、それと同じくらい札幌オリンピックで笠谷が金メダル(実は銀メダルも銅メダルも日本人だったから今よりももっとすごかった)をとった日は何度も同じシーンが放送されて完全に耳にタコができてしまったし、翌日は学校で皆がこれを口ずさみながらテレマーク姿勢をしたものだ。
つまり、アドリブで出る名調子こそが歴史に残る真の名調子なのではないか、と。
もうひとつ、面白い名調子。
サッカーのワールドカップのアメリカ大会、決勝トーナメント1回戦のイタリア対ナイジェリア、スコアは0−1でナイジェリアリードのままロスタイムへ、そこでイタリアのロベルト・バッジョが同点ゴール。
NHKの山本アナウンサーが叫んだ。
「ロベルト・バッジョ、男になりました!」
これも意味不明な台詞だけど、心に多くのものが伝わってくる名調子だったと思う。
試合は延長にはいり、相手のファウルでPKを得たイタリアが、またもバッジョによってゴール、イタリアの勝利となり、バッジョは男になったなあとしみじみ感じたのでありました。
しかしまあトリノオリンピックは面白くないのう。
ただでさえ人気のない冬季スポーツだというのに無理に種目を増やしているような気がしてならない。
まあそれはいいとして、やっぱり日本選手が全くダメなのが一番だろう、まさに玉砕状態だ。
果たしてメダルは取れるのか?オレは一個もとれないような気がする、応援はしているけど、応援すればとれるものではないでしょ。
でもって来週の金曜はオリンピック中継のため『チャングム』の放送はお休みだって?
つまらないオリンピックは録画でいいじゃないの、と思うのはオレだけか?
まあオリンピックというのはワールドカップと同じくらいに日本人にとって数少ないナショナリズムの高揚の機会なのではあるし、韓国のドラマとナショナリズムを天秤にかけた結果なのか?
しかし日本人のオレはそれでも『チャングム』見たいよ。
先週の続きね。
ああやっぱりってな感じの実に幼稚きわまりないお話だった。
どうあがいたって殺されるんだよ、きれいごとなんて通用する時代じゃないでしょ。
これを現代の殺伐とした時代に置き換えて、なんてことを制作者はいうんじゃないだろうな。
それなら生き抜くサバイバルだろう。
自分たちの置かれている状況を冷静に判断し、どうしても戦いから逃れられないのであれば自分たちの火力の優位性を徹底的に生かした作戦を立てて武器や弾薬を無駄にしないことが先決だろう。
戦に参加するのであれば、一気に中央突破、とにかく短時間で敵の大将を討つ。
それで軍勢はあっけないほどに総崩れになるはずだ。
後はとにかく逃げるのみ、ライフルの連射なんてとんでもない、そんなことしたらあっという間に弾薬はつきてしまう。
それにしても戦車やヘリの燃料はあんなに持つとは思えないんですけどね。
まあ所詮はあり得ない作り話、とってしまえばそれまでですけどね、人間あんなに美しいもんじゃないと思うぜ。
あり得ない話ついでに、オレは未来でもタイムマシンは作ることができないことは間違いないと思ってる。
それはなぜかというとだな、もし作れたんであれば必ず現れているからだよ。
では自然現象ではどうか?これもなし。
その理屈なら過去から現代に現れることだってあるわけだよね?
まあどうせリアリティのない作り話なら「戦国宇宙戦艦ヤマト」の方が面白いかもしれんね。
半村良の同名の小説が原作だが、いわゆる「タイムスリップもの」の魁的作品である。
この「タイムスリップもの」は海外では「ファイナルカウントダウン」、「ターミネーター」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、国内でもこの作品のほかにも多数、コミック「ジパング」など、結構人気が高い作品が多い。
時間をさまよい(これも簡単に言っているけど実際考えてみるとどういう意味なんだろう、「時空曲線」とか「時空間」とかいう言葉はよく聞くが分かりませんね)、未来や過去に移動してしまう、という現実ではおよそありえない設定ではあるんだけど、それがお話の上では当然のように扱われて、「何でもあり」の様相を呈して節操がないともいえなくないが、この手の荒唐無稽なものは個人的には結構好きだし、何よりわくわくさせるものがある。
今回の作品はアイデアをいただいただけのまったく別の話といって差し支えなく、タイトルを同じにしているのは所詮パクリだ、などと指摘されないための事前防衛策か。
まだ第一部を観ただけだが、かなり幼稚な脚本に呆れてしまった、というのが正直な感想。
第一戦国時代にタイムスリップした、という時点で自衛隊や国家の枠から完全に外れてしまったわけだから、自衛隊の存在理念を固持する青臭い輩がいることの方がリアリティーに欠けるというものではないか。
隊長の反町は西軍、東軍のどちらにも加担しないと終始宣言しているが、それならあたりまえのように展開される、自分たちの存在が知られてしまうような辺りをうろつく軽率な行動はありえないでしょう。
そしてできるだけ戦場から離れて隠れるのが本当でしょう。
でもって、まあ現代の兵器に戦国武将が惹かれるのは分かる、しかし家康に三成に小早川と次々にまるで隣に住んでるように登場するこれまたリアリティーのなさ、おまけに襲撃されているにもかかわらず、何で敵の大将を一発で仕留めないの?
レーザーサイトスコープで狙撃できるだろうし、戦車で吹き飛ばしてもいいじゃない、足軽だったら簡単に殺してもいいというのは現代の命の尊さの理念に大きく外れているじゃないか。
戦国を生き抜くにはあまりに青くて甘すぎません?
とまあ限りないのでこの続きは来週の第二部(これだけ文句並べても性懲りもなく多分観るだろうな)が終わってからということで。
映画館で予告を観た時、ジョニー・デップの「シザーハンズ」みたいな雰囲気だな、と感じた。
あの映画は何回も観たけどかなり好きだ。
しかし、この「チャーリーとチョコレート工場」に絶対に観に行こう、という気にはなれなかった、理由は分からないけど。
そして公開が終わった最近までそのことを後悔することもなかった。
しかし、最近、DVDが発売される、ということでいろいろな所に宣伝のポスターが貼ってある。
オレはある書店の前に貼ってあるポスターを見てはっとした。
それはこの原作がロアルド・ダールによるものだということを知ったからだ。
この人、本職はミステリー作家で、オレは短編ミステリーの神様とさえ思っているお方。
TVシリーズ「予期せぬ出来事」で自ら脚本を書き、コメンテーターも務めた。
この番組はフジテレビの「世にも奇妙な物語」がモデルにした、というかフジがパクったというのは一目瞭然、しかも非常にレベルが高く面白かった、今でもケーブルテレビなんかで放送されているようだけどね。
そんなダールさん、本業の傍ら童話も書く、じつは自分の子供にベッドで話をアドリブで続けているうちに一つの物語ができてしまい、それがきっかけで始まったというからたいしたものだ。
そういうわけでオレはダールさんの童話の映画化と知っていれば絶対観にいったのに、と悔やんでいるのだ。
まあそのうちwowowあたりでやってくれることを期待しよう。
年末年始に旅行に行くなんてことはもう考えたことすらないくらいにあり得ない。
とにかく家に籠ってテレビを見続ける、地上波のお決まりの下らないお笑いバラエティーには全く興味がないので(たけしのTVタックルだけは例外)、ずーっとケーブルで映画を見ているのだ。
もう何本見たことだろう。
その中で初めて見る映画もあるけれど、ほとんどは一度見たものなんだよね。
ちょっとだけ紹介します。
●「ゴッドファーザー」:
1作目と2作目、続けて観るとかなり疲れる。
しかし何度見ても面白い。
特に2作目のデ・ニーロはかっこいい、コッポラは2作目でこのシリーズは完結したと言っていたのに、なんで3作目が作られたのか分からない、それくらいにこの2作の完成度は高い。
●「ソルジャー」:
シュワルツェネッガーの「コマンドー」、「ターミネーター」、あるいはジャン・クロード・バンダムの「ユニバーサルソルジャー」など、マッチョなスーパーソルジャーのお話。
カート・ラッセル演じる寡黙なソルジャーが地味なんだけどかなり泣かせる。
「Soldiers to soldier, sir.」この台詞にしびれました。
●「スパイダーマン2」:
オレはスパイダーマンに関してはかなりうるさいんだけど、いいね、スパイダーマンの苦悩が平井和正原作、池上僚一画の劇画「スパイダーマン」を彷彿とさせる。
もしかして監督はこの30年以上も前に連載されていた(単行本もないだろうな)幻の原作を読んだのだろうかと思ってしまった。
最近本屋に行くと、戦艦大和に関する書物を多く目にする。
軍事オタクのオレには願ってもないこと、そりゃあ面白いよ、この現象の発端は映画『男たちの大和』にあることは間違いない。
今日もテレビ朝日でその関連の番組をやっていた。
しかしこれって随分前にやったヤツを映画の公開に合わせて無理矢理編集したものじゃないの?
内容は全く同じ、進歩ねえよなあ。
この映画、もちろん観てないけど、だいたい想像がつく。
大和の乗組員の個々の生き様みたいなものを描く、という手法、これもいい加減やりつくしている観があるよなあ、これって事実を元にしたフィクションてことでしょ?
NHKの大河ドラマにしても歴史的事実に基づいた作者の感情を込められたフィクション、でも歴史に名を残した人物がどう生きたのかという部分に作者が想像を加えたものなのに対し、この大和ものは歴史には登場しない一般乗組員のお話、戦争の悲惨さを訴えるセンチメンタリズムって言うの?もっと冷静に客観的立場で作った方がいいと思うよ。
大和にまつわるこの手の話はオレの記憶でも3回目?『連合艦隊』も入れると4回目か。
もっと新しい視点に立った映画を期待していたがどうもそれは無理なようだ。
特撮シーンでごまかそうとしたって無駄ってもんだ。
セットもすごいなんて言うけど、なんで艦橋作らないんだよ。
『トラ・トラ・トラ』を超える映画を日本で作れないのかね。
公開前だからもちろんまだ観てないよ。
でも映画館で予告を観てびっくりしたね。
何がって、出演者ですよ。
日本人女優がほとんど出てないじゃないの、若手(でもないか)では工藤夕貴くらい?
後は中国人、なんで?日本を舞台にした芸者のお話じゃないの?
理由は別の所にあるような気がしてならない。
この映画はあくまでアメリカハリウッド映画、つまり英語なんですね。
ネイティブな英語が話せる日本人女優がいないってことなんでしょうね。
そういえば『ラストサムライ』に小雪が出ていたけど、日本語だけだったな。
これってかなり情けない話じゃないか?
テレビの宣伝からしてオヤジばかりのギャラリーに違いないだろうと思っていたが、そうでもない。
女子高生もいたりした、しかし、やはりオヤジの一人だけというのも結構いたな、若いカップルはもっぱら『NANA』を見に行くようで、少なかったなあ。
まあそんなことはどうでもいい、宣伝どおりに面白い映画だった。
ストーリーは、年代設定こそ違うが、これはロッキーのモデルなんだな、と直感した。
1930年代の大恐慌の時代、ラッセル・クロウ演じる主人公は貧乏のどん底に突き落とされる。
妻と3人の子供を抱えて必死にあがくが、次から次へと現実の厳しさが襲う。
ガスも電気も止められる、どういうわけか、というかお約束のようにそれは冬の雪が降り積もる日なんだな。
分かっていても、どんなに臭くてもこういうところを徹底的に作り込むのがハリウッドの手法、常に見る者を意識している。
俳優のギャラを除けばそんなにカネがかかっているとも思えない、カネがないことをお決まりのように言い訳にしている日本映画でどうしてこういう作品が作れないのか。
題材はいくらでもあるのにね。
ケーブルテレビで『ダイ・ハード3』を見た。
ラストシーンになるまで以前に見たものであることに全く気がつかなかった。
困ったもんだ。
最近テレビで映画を見すぎている観がある。
どんなに面白くても内容を覚えていないことが結構ある。
これはどういうことなのだろう、記憶には結構自信あったのだが。
毎年毎年終戦記念日となるとケーブルテレビなんかは決まって戦争映画の特集をするチャンネルが必ずある。
東宝の25年くらい前の『連合艦隊』はもう何年連続でやっているんだろうか。
この映画、やたら長い、特撮シーンは『トラトラトラ』や『山本五十六』から借りてきたシーンが多く使われていて、かなり予算もケチっている。
加えて最後の谷村新司の唄は勘弁してほしい。
なんか新春特別時代劇のパターンそのまんま、というかその母体になった作品のような気もするね。
なんか今年は戦艦大和にまつわる話題が多いようだけど、どうあがいても事実は変わらないのだ。
ここで言う事実とは、大和が無謀な特攻によって何の意味もなさずに沈没したということだ。
でもって新しくまた大和の映画が作られているらしい。
そろそろまともな映画を作ってほしいもんだ。
ご存知同名の邦画のリメイクだ。
こんなにオリジナルを意識した、言い換えれば役者だけを入れ替えたリメイクも珍しいなあ。
でもね、こういう「のほほん」とさせてくれる作品、最近少ない、悪くないよ。
近頃の映画はどうもおかしい。
なんだかんだと言い訳を付けたシチュエーションの中で戦争や人殺しばっかり起きている。
バーチャルの世界でこんなに命が軽んじられていることが現実の世界でも同様に信じられないような事件が起きているのではないかと考えるとつじつまが合わないか?
「表現の自由」というのは人を殺しても良いということではないはずだろう。
そんな中だからこそこの「Shall we dance?」にはほっとさせられるのだろう、と思う。
音楽もなかなかよかった。
しかしこのごろ反戦や平和を叫ぶコンサートがないのはなぜなのだろう?
イラク戦争の際には「Imagine」や「天国への階段」など、戦意を萎縮させるような曲の放送を自粛した動きもあったと聞く。
あれ?「表現の自由」はどこへ行ったの?
わけの分からない世界規模のスケールより、庶民の幸せに着目した「Shall we dance?」で自分の足下をよく見たほうがいいよ。
なんでこんなの観なきゃならんのだ。
そう思ったら「どっちの料理ショー」でも「みなさんのおかげでした」でも観ればいいのに、ついつい観てしまった。
はっきりいってオレは「アタックNo.1」にはかなりうるさい。
何しろコミックは全部持っていたし、テレビアニメも観ていた。
でもって・・・・、全然違うじゃないか。
原作に登場する人物と同じ名前を使っているだけだな。
まあこんなもんだろう。
つぎは「ガラスの城」でもやってくれ。
でもあれはイギリスの貴族のお話だから上戸彩では無理だな。
昨日WOWOWで「Kill Bill」を放送していた。
もうこれでもか、これでもかって感じの「もう止めてくれー」状態がはじめから終わりまで続く恐ろしい映画だ。
多くの人にはすでにお分かりであろう、この作品はかなりブルース・リーを意識して作られている。
主人公の戦闘服は「死亡遊戯」でのリーのコスチュームのパクリ、メインテーマは「グリーンホーネット」、これはリーのハリウッドデビューともいえるテレビシリーズで、ここでカトーという日本人役で主人公の補佐役だった。
本作品中にもこの作品を連想させるように「カトーマスク」という名称まで出てくるところは泣かせる。
蛇足ながらカトーの綴りは「Kato」で、英語圏ではこれを「カトー」と発音するより「ケイトー」と発音することがほとんどだ。
もっとも「カトーマスク」を「ケイトーマスク」とは作品中では発音しておらず、このあたりにけっこう気を使っていたようだ。
何がいいたいかというと、ピーター・セラーズの人気シリーズ「ピンクパンサー」でクルーゾーの私設助手役の名前がケイトー、つまりこれもあの「グリーンホーネット」からのパクリだったというところまで気がつく人は少ないということだ。
パクリはこれだけではない、東映のヤクザ映画からスケバン刑事まで、この監督は完璧なオタクと化している。欧米の監督にとっての日本の印象がこれだ、という感じがよく出ていて、リュック・ベッソンの「わさび」に近いものがあったね。
どうもこのところ宮崎作品はぱっとしない、見終わった後の感動がないんだよね。
アニメ自体はすごくきれいですごい技術だなあ、と素人のオレにもよくわかる、でも話がかなり複雑で結局何がいいたかったんだろうと思ってしまう。
前作の「千と千尋の神隠し」も3回見たけどいまだに理解できない。
これをこのまま小説にしてもさっぱりわからないだろうな。
つまり原作の要が非常に曖昧になってしまっているのかもしれず、残念だ。
このタイトル、あのファミコンのゲームソフトの映画のことではない。
もう20年以上も前のチャールズブロンソン主演の映画のタイトルなのだ。
ちょっと横道にそれるが、ファミコンのゲームソフトのルーツもこれにあるんじゃないかと思う、というのもゲームソフトがブレイクしたのは「ストリートファイタ−2」で、映画かもそれを元にしたもの、その前に出ていた同名のソフトはブロンソン主演の映画の設定に結構近かったからだ。
話を元に戻すと、ブロンソン演じる主人公は、ゲームのように武芸の達人なんかではなく、流れ者の喧嘩の賞金稼ぎ、そのブロンソンに惚れ込んでプロモーターになるチンピラを演じるのがジェームス・コバーンと、キャスティングだけでもう文句ない。
大きな欲もなく、その日その日を必死に文字通り体を張って生きる男の生き様が見ていて心に深くしみいった。
ただ断っておくが映画の全編を通して悲壮感は全くない、返ってそこがいいんだろうな、何しろブロンソンとコバーンのコンビですからね。
最近になってこの作品がDVDで発売されたようで、また観たいなあ、と思う映画なのだった。
韓国の映画の勢いがすごい。
それには国が、韓国国内での上映する映画の6割は韓国ないの作品でなければならないという、保護政策をとっていることも一因するらしい。
それにしてもスケールも大きいし、エネルギーを感じる。
日本の映画関係者の多くには、日本の10年前のアイデアとか、結構批判的なものも少なくないが、結果がすべて、カネやスケールよりも脚本等の内容で勝負、なんていうのは負け惜しみじゃないのか。
では日本も韓国と同様に国産映画の保護政策をとったら日本の映画は繁栄するのかというと、そうも思えない。
全くいないというわけではないものの、個性的な映画を作る人口が圧倒的に少ない。
あとはテレビドラマの延長に人気コミックの映画化、と明らかにアイデアが完璧に枯渇している中でどれだけのものが作れるかなんて、たかがしれているといわざるをえないね。
その辺りはイタリア映画の「ニューシネマパラダイス」のラスト近くにだぶるものがある。
もはや日本人の娯楽の中に、映画館に足を運ぶということは上位を占めていない気がする。
台風通過で寝てもいられない。
そうだ、水曜日は鉄人28号があるじゃないか、というわけでチェンネルを合わせる。
なんと最終回だった。
それはもう凄まじいものだった。
放送開始からずっとこの重い雰囲気は変わらず、そしてかなり見応えのある内容だった。
原作に忠実ではなく、原作に登場したキャラクターを巧みに配置して全く新しく作り上げたドラマといった方がいいだろう。
しかも原作のキャラクターが内容にスポイルされることもなく、実に効果的に生き生きと使われているところがすばらしい。
最終回で鉄人は自らの意思であるかのごとく、正太郎の命を救ったところで溶鉱炉の熱で溶かされてしまうシーンには涙が出そうになった。
これは大人にしか味わえないアダルトアニメの金字塔だろう。
どこへも行く予定がないGW、天気も最悪なので自宅でケーブルテレビ、退屈しのぎに「平成ガメラ三部作」を見てしまった。
「平成ガメラ」というのは90年代にそれまでとは全く別ものとして新たに制作されたガメラシリーズで、それまでのガメラシリーズと区別するために俗に呼ばれる3作品のことだ。
「昭和ガメラ」は「ガメラ対ギャオス」以降はおこちゃま向けの作品に成り下がってしまい、脚本も幼稚きわまりなく、とても大人の観賞に堪えるものではなく、今見るととてもがっかりするのに対し、「平成ガメラ」は脚本がしっかりしていて見応えがある。
特撮はCGが多用され、飛行中のガメラのスピード感はすばらしく、リアリティーを感じさせる。
ゴジラシリーズが新しく作られても昭和40年代の作品を超える作品がないのと実に対照的に、この「平成ガメラ」は全く新しい怪獣もののスタイルを確立してくれた。
脚本は、登場する怪獣が古代神話の言い伝えに基づいて登場、どこか陳腐で胡散臭いものがない訳ではないけれど、最近のハリウッドでもよく取り入れられる手法でもあり、まあこんなもんかな、怪獣映画にその辺りのリアリティーを求めること自体がナンセンスだからね。
このシリーズの、これまでの怪獣ものの脚本にあまり見られなかった手法は、人間の命に重きを置いていることだ。
怪獣同士が戦う舞台は海や山の広大な土地ではなく、常に都会の真ん中、そこにいる人間が右往左往、敵を倒すためにガメラが動けば動くほど、人間がどんどん巻き込まれて死ぬ、その表現がとてもリアルだ。
何しろ第二作では仙台市が消滅してしまうほどだし、第三作では渋谷や古都京都の町が完全に炎に包まれる。
ガメラは時に疫病神的にとらえられるがそれでもガメラは本能的に外的を察知しては戦い続ける、そこでこの三部作は未完の形で終了する。
この手の映画のお約束のハッピーエンドではなく、ガメラの哀しい戦いで終わるというのが泣かせる。
これへ続編は絶対にやめてほしい、ましてや「ガメラ対ゴジラ」なんて論外だ。
などと新作でもない映画に熱くなってしまった。
すばらしい。
これまでどれくらいの作品が、アニメ、実写を問わずリメイクされてきただろう。
中にはオリジナルと全く違ったコンセプトで新しいスタイルを確立できたものもあったが、それらはオリジナルとは別のものとしての完成度でしかなく、オリジナルとの比較対象にはなり得なかった。
「鉄腕アトム」はリメイクによってアトムやお茶の水博士などのメインキャラクター以外は全くデザインが異なり、脚本や設定も「現代風にアレンジ」したようではあるが、これが全く味気ないものになってしまっているのはオリジナルを意識しすぎたための気負いかもしれない。
何より「現代風」というのが気に入らない。
どのみち実現しうるものではないのだから、あえてオリジナルのデザインを損ねて最近のキャラクターデザイナーが新しくデザインしたところで何の意味があるのかはなはだ疑問である。
蛇足ながらリメイク版「鉄腕アトム」はさっぱり面白くないのでもう見るのはやめた。
しかしビッグコミックオリジナルで浦沢直樹が執筆中の「地上最強のロボットの巻」をリメイクした「プルートウ」はオリジナルのキャラクターを一切排したコンセプトでこれはなかなかすばらしい。
話を戻すと、リメイクされた「鉄人28号」も見るまではそういう不安がいっぱいで、ご多分に漏れずがっかりさせられる内容に違いない、と思い込んでいた。
しかし、どうだ、昭和30年代という原作当時の設定をそのままに、キャラクターもほぼ忠実に再現されているではないか。
そこに最新のアニメーションの技術を導入し、動きをリアルにする点にだけ注意を払っているところが高く評価できるし、泣かせる。
作者の故横山光輝氏は晩年、「鉄人28号」を評し、「中世のヨーロッパの騎士の鎧をモチーフにした。今ならもっとましにかけるかもしれないが、当時はあれが精一杯だった。」と鉄人のあまりにもシンプルなデザインを恥じるように語っていた。
しかしあのデザインこそが鉄人、昭和30年代の科学の考えつきそうなデザインではないか。
卵のように丸いボディに丸太のような手足、シンプルだけれど、外骨格としては強度的にも今でも理想ではないのか。
細かい点では、正太郎の乗る車がトライアンフだなんてなかなかお洒落だし、警視庁のかつての建物など、ディテールもかなりのこだわりが感じられる。
脚本もオリジナルの中にさらりと現代的な思想を織り交ぜて嫌みがない。
「鉄腕アトム」がSFなのに対して「鉄人28号」は刑事ドラマのような緊迫感が売りだ。
これはいいぞ、もしかするとオリジナルを超える名作になるかもしれない。
それにしても「鉄人28号」というネーミングはいったいどうやって考えだされたのだろう、これが一番泣かせるよ。
この鉄人なくしてマジンガーZもガンダムもなかった。
まあ当時人間が乗って操縦するロボットものはなかった訳ではないけどね、やはり鉄人こそ日本ロボットアニメの魁だろう。
もっともっと多くの、それもオリジナルを知らない人にも見てもらいたいと思う作品だ。
横山光輝氏の鎮魂歌としてこの作品に期待したい。
ついに、やっと、というべきか「エイリアンvsプレデター」が実現だ。
「プレデタ−2」で、宇宙船の中にエイリアンの頭蓋骨が飾ってあって以来、いつかは実現するだろうと心待ちにしていたのだ。
昨年「フレディーvsジェイソン」が公開されたから次はこれだな、とは思っていたが、ハリウッドもそろそろネタ切れなのかね。
この手の人気キャラ同士の対決させるという企画は海外よりも日本の方が早い。
「キングコング対ゴジラ」から始まったゴジラシリーズの対決ものだ。
晩年はマンネリ化してしまったけれど、当初の作品はかなり面白かった、特に「モスラ対ゴジラ」は今見ても最高傑作だと思う。
ネタ切れの苦肉の策での実現かもしれないけれど、期待だけはしておこう。
でも舞台が地球?ちょっと無理があるなあ。
最近のTVや映画はとにかくリメイクが多い。
それでいてオリジナルを超えるものはほとんどといっていいほどない。
「鉄腕アトム」なんてさっぱり面白くないし、この「ウルトラQ」もご多分に漏れない可能性大と言わざるを得ないね。
「ウルトラQ」のオリジナルの面白さは当時全くなかったといってもいい特撮を取り入れたミステリーやSFだったからで、脚本の個性もすばらしいものがあり、そこがいまだに色褪せない理由だろう。
現代においてこれをリメイクすると、特撮技術はCGの登場で格段に安く、しかもリアルに表現できる。
しかし「スターウォーズ」以降、我々はそういった特撮になれきっている、というか目が肥えてしまっているので安っぽいCGごときで満足なんて得られる訳がない。
となると脚本のウェイトが大きくなる訳だが、これまた情けない。
これって本当にオリジナルなんだろうか、と思えるほどにどこかで見たようなレベルのものでしかなく、何よりわくわくさせるものがないのね。
この程度の話なら「世にも奇妙な物語」の方が断然質が高いし、オリジナリティーを感じる。
かつての名作にケチ付けてまでこのタイトルを引きずり出して、本当にカネが好きなんだなあ。
ぜひカネゴンを登場させて現代風に毒々しいまでにしっかりリメイクしてほしいものだね。
プリペイドカードも食うかな?
昨日のエントリーにコメントをもらってしまったので、昨夜の「プロジェクトX」の感想を書かねばなりませんね。
既にオレが持っていた「ヨシムラ」の知識を上回るものではありませんでしたが、「ヨシムラ」の集合管をCGで解説するなど、初めて知る人にもわかりやすい作り込みだったと思います。
メーカーの歴代のメカニックなんかもさらりと登場して、いかにPOPヨシムラが愛されていたのかがよく伝わってきました。
特にスズキの横内氏、この人はあのGSXRの油冷エンジンを発案した人物、いかにすごい人たちから尊敬されていたのか、という点ではちょっと物足りなかったな。
番組にも出演していた、長女の南海子さんとその旦那の森脇氏は、現在はヨシムラから別れて「モリワキ」というヨシムラと同様のチューニングファクトリーを経営しているんですが、そういうことに一切触れなかったのもNHKらしくていいですね。
それにしても「ヨシムラ」の番組なのに、なんでゲストが「モリワキ」の人で、現在の「ヨシムラ」のトップである長男の不二夫氏じゃなかったんでしょうかね?
今夜の「プロジェクトX」はバイク乗りなら誰でも知っている「POPヨシムラ」だって?
「ヨシムラ」はスポーツバイクのマフラーで有名な会社、というか元々は町工場、しかし世界中に名前の知れた町工場のオヤジでもある。
その知れ渡った名前もアルファベットの文字ではなく、「ヨシムラ」というカタカナだったのがすごいね。
オレもかつてヨシムラのマフラー使ってたけど、音がいいんだよ、うるさくなく、いい音。
楽しみですね。
感想は明日、気が向いたらね。