「悪いことは重なる」とはよく聞くことだ。
一生懸命に取り組んでいても、うまく行かないということは誰にでもあること、それが次から次へと起きる、なんてこともたまにはあるものだ。
仕事、プライベート、経済、生活、家族‥、これらのことに次々に問題が起きて落ち込まないでいられるほど一般人は強くない。
耐えきれない者の中には自殺する場合だってある。
かくいうオレだってその例外ではないのだ。
まあ自殺はしないまでも、しかしだからといってその自分のおかれた状況をいつまでもくよくよしていたって絶対にその結果が変わることなんてあり得ない。
時に方角が悪い、悪い霊に取り憑かれている、はては名前の画数が悪いとか、運勢や目に見えないもののせいにする場合も多いことだろうし、その気持ちはよくわかるよ。
辛い時でも笑って前を向く、わかってはいるけれどそれをしてその後どうすればいいというのか、具体的な方向を示してくれる親切な人もいないのだ。
しかし冷静に考えてみよう。
後悔しても結果は同じだということは前述した。
ならばやはり空元気でもいいから笑っている方が周りの印象は悪くないはずだ。
そして前向きになる、これを具体的に考察するに、まず自分ができることは何か、これを冷静になって考えてみる。
生きてきた人生が長ければ長いほど、その数は膨大にあるはずだ。
そして現在の自分のおかれている立場でできること、その中の最善を探すのだ。
ここでいう最善というのは一番現実的な、ということではない。
たとえ可能性は無いに等しいくらいに低くても、自力で現状の環境を脱出し、夢に描いたようなすばらしい、明るい世界に行く方法はきっとあるはずだ。
傍からはいつまでも夢を追ってあがいている、というように映るかもしれないし、それを好印象で受け止めてくれることはほとんどないだろう。
しかし、だからといって何も自分の中で行動に新たな変化をつけなければ何も変わることはなく、ずるずると奈落の底へと転落して行くほかないならば、第三者にどう見られてもその手を休める理由にはなり得ないと思わないか?
必ずいい結果が待っているわけではない。
それでも自分の状況を呪い悲観するのではなく、すべてを受け入れてそんな不幸的状況に陥ってしまった自分の運に感謝するくらいの気持ちであがけ、あがけ、あがけ。
アテネオリンピックも半分以上が終わり、オレの興味のある種目もなくなった。
というか、サッカーと野球くらいしか興味なかったといっても過言ではないがね。
サッカーは早々と予選敗退が決まってむかついた。
野球はドリームチームということで優勝して当たり前、的な感覚で見ていたし、彼らもそれに十分に応えてくれたと思う。
しかし、同じチーム、オーストラリアに連敗というのはいただけない、確かに決勝トーナメントの相手ピッチャーはすばらしかったけれど、ドリームチームなんだからなんとかしてほしかったと思ったのはオレだけじゃないだろう。
長嶋監督があの場にいたら、と考えてみた。
長嶋はとにかく気が短い。
やたらと選手を替えたがるところがけっこうあるけれど、オーストラリア戦に限ってはその方が功を奏したような気がするね。
打てない打線にカツを入れるために代打を積極的に出してもよかった、誰が出ても局面を打開できるだけの実力者がそろっていたのに、それをしなかったのはちょっともったいなかったし、ずっとベンチに留まっていた選手にチャンスを与えてもよかったのではないかな。
まあ終わってしまったことをああだこうだというのは簡単だからね、銅メダルで納得するしかないね。
これから日本のプロ野球はまたつまらないペナントレース、こっちには全く興味が出てこないね。
オリンピックのあとはワールドカップサッカーの予選とF1、ヨーロッパサッカーリーグの開幕へと興味は移るのであった。
今回のオリンピック、日本のゴールドメダルラッシュはすごいものがある。
マラソン女子で野口選手が優勝した時点でミュンヘンオリンピックにならび、東京オリンピックに次ぐ2番目の記録となっている。
地元開催のオリンピックではやはり地の利的なものがあるから東京オリンピックは別格としても、これはなかなか、しかしミュンヘンの頃より種目も出場選手の数も増えているわけだからメダルの数だけで単純に比較するのもどうかとは思うね。
ミュンヘンオリンピックが比較に出されているので、あの当時を思い出してみた。
金メダルを取ったのは水泳が2個、男子バレーボール、あとは柔道と体操とレスリング、なんだお家芸ばっかりじゃないか。
特に体操はあん馬以外はすべて金、ほとんど独占状態だったからここで荒稼ぎしたようなものだが、それはそれですごいものがあった。
その中でも塚原の月面宙返りの登場には度肝を抜かれたし、いまだにそれが体操のスタンダードというのもすごいと思う(実際には現在はひねりが一つ多いんだけどね)。
しかし、やっぱり一番の印象に残っているのは男子バレーボールだろうな。
オリンピック開催半年前からテレビアニメ「ミュンヘンへの道」でメチャクチャムードが盛り上がっていて、結果が優勝だったからなあ、当時の選手や監督は英雄に見えたよ。
でもその後の凋落ぶりは目を覆いたくなる。
冷静に考えるとまんまとマスコミの策略にのせられていたわけで、バレーボールって今ではそれほどかっこ良く感じないのはオレだけじゃないんじゃないかって気がするよ。
「ミュンヘンへの道」
当時TBSで放送されたアニメ番組。
男子バレーボール全日本チームのミュンヘンオリンピックまでの涙と汗の日々の実録アニメ。
番組の最後に「ミュンヘンオリンピックまであと○○日」というテロップが気分を高めた。
これはのちに「宇宙戦艦ヤマト」でも再現される。
東北自動車道で仙台まで行ってきた。
この季節の渋滞はエンジンの負担がかかって困りもの、エアコンが効かなくなるならいいが、完璧にオーバーヒートしてしまうことだってあるのだ。
幸いそういう難は逃れたが、高速道路を気持ちよく走らせてくれない要素ってけっこうあることに気がついた。
仙台までという長距離をいかに体力の消耗を押さえて走るか、それは常に一定のペースで走り続けることだ。
全くの単独走行ならそれは問題なくできる、距離と到着時刻を設定してそれに合わせて速度を維持するだけでよい。
しかし、道路には他のクルマがあふれているからそううまくは行かない。
自分よりもはるかに速い速度で追い越していくヤツだっているが、それはそいつのペース、速度違反で捕まるのもそいつのいわゆる自己責任だからかってにやってればいい。
しかし問題なのはほんの短い区間でだけ飛ばしてまた速度を下げる、という速度維持がきわめて不規則なヤツ、これが最悪だ。
遅いので抜くと、しばらくしてからまた抜き返してくる、またしばらくすると追いついて今度はこちらが抜き返す、早く先に行きたいのかゆっくり行きたいのかはっきりしろ、と叫びたくなる。
そういう運転をするヤツに限ってパトカーに捕まるんだよ、これが。
逆にオレと同じように一定の速度を常に保って走るヤツ、これは後ろについていくとペースカーに使えて非常にありがたい、でもペースカーに使われていることに気づかれると急に速度落としやがるんだ、だから気づかれないように、つかず離れず‥、なかなか奥が深いのだよ。
まあ自分と同じペースで走ってくれるペースカーはなかなか現れないんだけどね。
久しぶりにヨットを出した。
ヨットをやったことがない人には優雅に見えるようだけど、実際ヨットの操船は非常にデリケートで、ストイックなスポーツなんですね。
夏と言えば海、マリンスポーツと連想されますが、ヨットやウインドはそれなりに経験を積まないと楽しむことができません。
それを克服したあとに初めて優越感に浸ることができる?だからそんなに優雅じゃないんだって。
それに片付けるのもかなり手間がかかる、なんかこうもっと画期的なものでできないもんだろうか。
最近の日本語の乱れは本当にあきれてしまうことが多い。
おいおい、そんな失礼な言葉遣いでよく仕事ができるなあ、なんて日常で耳にしてしまう。
それ以前に、個人的にはもっと腹が立つことがある。
それは字が汚い人が多いこと、箸の使い方が下手な人だ。
そういう人たちの意見は決まってこうだ。
「読めればいい」、「食えればいい」(これってら抜き言葉か?)。
それはあくまで本人の一方的価値観からのことであり、コミュニケーションを前提とするのであれば、やはり相手の視線を意識するのは当たり前のことのはずなのに。
文字も箸もこうしなければならないという法的なルールはない。
しかし、だからこそ一人一人が自覚して守らなければならない文化ではないのか。
きれいな文字の文章を読んだ時、あるいは箸の使い方がうまい人を見た時にほっとするというか、気持ちがとても安らぐことはないのだろうか。
メダルの期待がかかったサッカー代表だったが、予選の壁は高かった。
パラグアイ、イタリア戦ともにあと一歩の惜敗、どちらも詰めの甘さが目についた試合だった。
対して相手国は少ないチャンスを確実にゴールに結びつけた。
小野のパスの正確さだけが印象に残った。
先週のアジアカップの優勝のあとだけにかなりの脱力感、F1でも佐藤琢磨が全然さえなかったし、睡眠時間削って疲れだけが残る夜だった。
近鉄とオリックスの合併に揺れるプロ野球で、ついに選手会がスト権を行使するかもしれない。
それに対し、球団経営者側は「ファンを無視するな」だって。
今まで散々ファンを無視してゴリ押ししてきた分際でファンを楯にするとは、あきれてものも言えない。
しかしまあナベツネも辞任したし、旧態依然としていたプロ野球の古い体質がこれで払拭できることを祈りたいですね。
古田、がんばれ、てとこでしょうか。
オリンピックの開会式はまだなのに、サッカーだけが先行してして始まるのはどういうことなんだろう。
しかも会場はアテネだけでなく、予選敗退が決まると選手はアテネに行くことすらない場合もある。
また、試合開始の前にFIFAのテーマが流れて選手が入場、両国の国歌斉唱、これはワールドカップをはじめとするサッカーの国際試合と何ら変わりがない。
他の競技ではこんなことあり得ないし、このサッカーだけはオリンピックの中でも異色の存在といえなくもない。
まあそれくらいにサッカーというのは世界中で愛されているスポーツなんだ、と考えるとこういう例外が許されることにも不思議と納得がいってしまう。
それにしてもパラグアイはけっこう強いね。
日本は予選突破できるんでしょうかね。
「やる気のないヤツは辞めろ」
なんて傲慢な台詞はこの不況の昨今では珍しいことではなくなってしまった。
しかし、この台詞を吐いたことがある人に聞きたい。
あなたはその会社の何なんですか、と。
働き手の「やる気」というのも気になる。
単にモチベーションの意味ならば当然とも言えなくもないが、それとも十分に働いているのにさらに拍車をかけてのことなら話は変わってもくる。
それよりも先決にこの台詞が言えるのは会社経営者、つまりは取締役以上の立場の者でなければならない。
同じサラリーマンの立場の上司だとしたらそれは会社に対する背信行為ですね。
なぜならば、一人の企業人を募集し、採用し、一人前に育て上げ、企業に利益をもたらすまでにいったいどれだけのカネと時間がかかるかを理解しているのか、その場の気分で吐いたとしたら無責任きわまりないではないか。
そういうところまで十分に理解していれば問題ないかというと、そうでもない。
それを決めるのは経営者であって一般サラリーマンが軽々しく判断することではないし、なによりも僭越である。
しかし、しかしなのだ。
では経営者ならば本当に許されるのか。
そんなことを言う経営者、ひいてはそういう企業はろくなもんじゃないから辞めた方がいい、間違いなく。
つまり何がいいたいかというと、これは禁句中の禁句だってことね。
いやーたいしたもんですね、まさか優勝するとは思いませんでした。
中田や稲本、小野の飛車角落ち以上のハンデを背負いながらも強いもんですね。
しかも藤田や三浦淳宏など一度も使うこともなかった、ワールドカップの手の内もすべて見せることもなかったようで、これも一安心、ジーコの精神力が選手に乗り移っていたようです。
それでもジーコを批判するアホはやっぱりいるんだろうな、これでもトルシエより弱いのかね?
まあここで仮にベンゲルに頼んでも引き受けないって。
それにしても中国のブーイングのひどいことと言ったらなかった。
いかに中国人が潜在的に日本人を毛嫌いしているのかがよくわかった。
もういい加減ODAやめろよ。